本格的に外出自粛の生活をはじめてから、3週間目がスタートした。
世界で100万人以上の感染者を記録し、猛威をふるいつづけている新型コロナウイルス。イタリアは感染者数が11万人以上、イタリアとスペインでコロナによる死者は合わせて2万3000人を超えた。(4月2日時点)
参照サイト: https://interaktiv.morgenpost.de/corona-virus-karte-infektionen-deutschland-weltweit/
2週間で一変した日常
私の住むドイツでは、感染者数が8万5000人、死亡者数が1000人を超えた。
思い返せば、イタリアが国境封鎖をした3月9日の週以来、まるで映画のように日々状況が急速に変化し、生活が一変してしまった。
出典 : Berliner Molgenpost, Corona virus monitor
出入国管理による移動の制限、学校も休校、大学や仕事もリモートに切り替わった。現在は、あらゆる施設やお店がクローズし、スーパーマーケット、銀行、郵便局などの生活に必要なお店や一部の公共機関しか稼働していない。
接触禁止令により、出勤、介護や看病などの世話、試験や手続きなどの予定、軽い運動といった予定以外の外出は自粛されている。
外出には身分証を持参しなければならず、単身か家族以外では、自分+1人の同伴のみ許可。個人宅での集まりも禁止。買いだめ現象は落ち着いてきたものの、スーパーのレジ前では、スタッフの指示のもと、1.5〜2mの間隔をあけて並び、レジ係の人との間には透明なしきりを設けるなどの措置も見受けられている。ここ数日は、ついに街中でマスクをする人も見かけるようになった。
医療崩壊、都市封鎖、長期の外出自粛、失業や経済悪化の流れなど、様々な情報に不安を煽られる一方で、今回の危機は、今日までの社会システムや価値観に対するあらゆる問いを投げかけているとも感じている。
非常危機が日常になることで失われたこと、そして現れてくる事象から、わたしたちは当たり前だったものの意味や価値を問い、本質的に大切だと思うものを見極め、未来に活かすチャンスを得ているともいえる。
出典 : Yuval Noah Harari: the world after coronavirus, financial times
世界でベストセラーを誇った「サピエンス全史」の著者である歴史学者・哲学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、英紙「フィナンシャル・タイムズ」での寄稿の中で、アフターコロナ後の世界について、「この数週間における私たちのアクションが、今後の世界が歩む道筋のコンセプトを決める」と述べていた。
新型コロナウイルスがもたらした生体認証データ監視、国境封鎖などの事例を挙げ、ハラリは、人類が「全体主義的な監視社会を選ぶのか、それとも個々の市民のエンパワーメントを選ぶのか」「国家主義者として世界から孤立するのか、それともグローバルな連帯をとるのか」という重大な選択を迫られていると言及している。
通常ならば、慎重な審議が求められる重大な意思決定の数々が、この数時間の中で下され、国全体が社会実験の対象として試されている。
世界中で様々な方向性が示される中、ポストパンデミック後の世界を探るヒントとして、ドイツ、ベルリンでどんなことが起こっているのか。国家、市民レベルでの動きから考察してみたい。
ヨーロッパは健康のために個人データを解放するのか?
GDPR(General Data Protection Regulation:一般データ保護規則)をはじめ、プライバシー保護の施行に、力を入れるヨーロッパ。
特にドイツには、かつてナチスやシュタージ(秘密警察)が使用した国家監視システムの経験から、世界で最も厳しいプライバシー法があり、「監視」、「プライバシー」は非常に敏感なトピックの一つである。
新型コロナウイルスの感染拡大防止対策として、アジア各国で実証されてきた生体認証データ追跡システムの導入に向けEUにも動向があった。
ドイツの新聞「Der Spiegel」によると、ドイツのFraunhofer Heinrich Hertz Institute(HHI)を中心に、EUの17の研究機関、組織、企業から集まった約130人の技術者と科学者によるチームが、EUが定めている厳しいプライバシー規則に準拠するように設計されたCOVID-19のための連絡先追跡近接技術PEPP-PT(Pan-European Privacy Protecting Proximity Tracing)の開発に取り組んでいると発表した。
出典 : A New Infection Alarm System on Your Smartphone, spiegel international
中国をはじめ、香港、韓国、シンガポールなどでは、国家が公衆衛生目的のためにデータやモバイル技術を利用してウイルスのデジタル追跡を行なっている。
例えば中国当局は、感染リスクに基づいて個人をスコア化。市民のスマートフォンを綿密に監視し、何億台もの顔認識カメラを利用し、体温や健康状態の確認と報告を義務付けることで、コロナウイルスの感染者を迅速に特定するだけでなく、彼らの動きを追跡し、接触した人を特定していた。
アフターコロナのシナリオの一つとして、非常事態時に正当化された生体監視システムが日常に浸透し、そこから得られるデータを、特定の利益のため利用する政府や企業の動きが想定される。この構図は、既にコロナが起きる前の世界でも問題提起されていたことであり、ハラリが述べていたように生命や感情に関わるデータまでも大量に収集され、利益のために操作される危険性がある。
今回、 EUで開発が進められているPEPP-PTは、社会に永続的な害をもたらす可能性があるアジアのデジタル追跡監視システムには警鐘を鳴らしつつ、テクノロジーを用い、人々のプライバシー保護と健康の両立するアプローチに挑んだ。
出典 : Auch Angela Merkel würde eine Corona-Warn-App nutzen, Spiegel Netzwelt
PEPP-PTのコアのアイディアは、Bluetoothの通信を用い、感染者に接近した場合にユーザーに警告を発し、ユーザー自身の自主隔離を促し、感染の波を抑えるというもの。
「我々は位置情報、移動プロファイル、連絡先情報、最終デバイスの識別機能を収集していない。」とプロジェクト発起人の一人、ドイツにあるAI技術のスタートアップArago創設者Chris Boos氏は述べる。
PEPP-PTはデータ保護の施行、匿名化、GDPR(EUの一般データ保護規則)の遵守、セキュリティシステムをアプリに組み込んでいるという。
そのため、コードによってデバイスを使用している人の身元を明らかにすることが事実上不可能であり、アプリのダウンロードは市民の自由意志と責任に委ねている。また、2台の携帯電話が直接データを交換することはなく、ユーザーのエイリアスは頻繁に変更されるため、アジア諸国がとったような監視がそもそもできないシステムになっている。また、このアプリは、国を超えても動作する。
出典 : Berliner Molgenpost, Corona virus monitor
グローバルな連携でパンデミックを乗り越えるために、このアプリを通じて、少しでも多くの国の感染症対応の管理者や開発者が、迅速かつ安価に開発ができるような技術的な基盤を提供しているのも特徴だろう。
このプロジェクトには、ドイツの連邦データ保護委員会と連邦情報セキュリティ局、ベルリンのロバート・コッホ研究所(RKI)の科学委員会のメンバーも参加、サービスのテストにはドイツ軍も協力したそうで、ドイツの関心の高さをうかがわせる。
まだ開発段階ではあるため、今後の動向のチェックは必要だ。ただ、ヨーロッパが全体主義的な監視社会の方向性を避け、市民にエンパワーメントを与え、グローバルな連携を目指したデジタル追跡サービスのアプローチを実施していることは興味深い。
参照サイト: https://techcrunch.com/2020/04/01/an-eu-coalition-of-techies-is-backing-a-privacy-preserving-standard-for-covid-19-contacts-tracing/
https://www.spiegel.de/international/europe/fighting-coronavirus-a-new-infection-alarm-system-on-your-smartphone-a-b4b35e3c-6499-4487-a689-6008d8d7ecc8
https://www.spiegel.de/netzwelt/apps/pepp-pt-auch-angela-merkel-wuerde-eine-corona-warn-app-nutzen-a-0866cefe-e2b6-4fe0-abc1-e759de85e73c
信頼関係の上で成り立つ自律性
ヨーロッパの他の国に比べ、死亡率が約0.7%と突出して低かったドイツ。(4月2日時点)
各報道機関によって情報はまちまちだが、週16〜50万件という大規模な検査に加え、大学病院や医療機関との徹底した連携体制、集中治療に対応したベッドや重症化した患者を治療するための人工呼吸器の設備などの医療体制が他のヨーロッパの国と比べると整っていたことも要因といわれている。
また、早期検査で重症化しやすい高齢者の感染者増が抑えられている面も挙げられる。イタリアやフランスに比べると、緩めのルールが制定されているが、多くの人がSocial Distanceの考え方を理解し、事態を深刻に捉え、自宅での隔離生活を行なっている。
しかし、ここ数日で、死者数1.58%と上昇している事実もあり、緊迫した状況はさらに続くと見られる。
参照サイト : https://theconversation.com/coronavirus-why-is-germanys-fatality-rate-so-low-135496
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200324/k10012347921000.html
https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/202004/CK2020040802000127.html
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-04-06/Q8CPXADWLU6F01
感染者をなだらかにし、死者数を抑えるには、市民の協力が必要になってくる。
こうした市民の自律的な行動の裏側には、政府などの公的機関や医療などの専門機関に対する信頼も絡んでいるといえる。
例えば、医療などの専門機関からの情報を見てみよう。
現在、ドイツ市民に人気のポッドキャストは、ベルリンにある欧州最大級の大学病院シャリテのウイルス学研究所長クリスティアン・ドロステン所長が、コロナウィルスの話題毎朝発信する番組だ。
視聴者からの質問にも答え、わかりやすくウイルスにまつわる知識や、現状を説明していると好評を得ている。
根拠のない情報や利己的に働きかける政治家、企業、メディアの情報ではなく、科学的なデータや医療または公的な専門家の正しい情報を積極的にシェアする動きもSNS上では見られている。
ドイツ国民の反響が大きかったトピックの一つに「第2次大戦以来の試練」と事態の深刻さを語りかけたメルケル首相の演説も挙げられるだろう。
国境封鎖、文化施設や飲食店の閉鎖、学校の休校などの厳しい決定を下した背景から「民主主義国家だから政治的決定は透明性を持ち、詳しく説明されなければならない」と愛する人の命を失わないために、人との接触を控える必要性や政策に対する意図を真摯に説いた。
また、コロナウイルスが感染拡大を続ける中でもスーパーなどで働き続ける人々に送った感謝の言葉などは、国民目線に立ち、思いやる気持ちにあふれ、多くの人の胸に響いた瞬間でもあった。
ドイツ国民の中には、この人が国のトップだったら大丈夫だろうと安心感を覚えた人も多いのではないだろうか?
参照サイト: メルケル首相の演説の日本語訳
メルケル首相が自宅隔離中に行なったPodcast
出典 : Germany Releases €50 Billion Aid Package For Artists, Cultural Businesses, independent
厳しい自粛の要請、首相の緊急演説に続き、ドイツ連邦議会は、生活のための補償として、新型コロナウイルスによる経済への打撃を緩和するために総額7500億ユーロの財政パッケージも用意した。
中でも、注目を集めているのが、フリーランサーや芸術家、個人業者への支援だ。モニカ・グリュッタース文化相は「アーティストは今、生命維持が必要不可欠な存在」と断言。中小企業には、映画館やクラブ、アーティストスタジオのレンタルなどの運営費をはじめとする緊急財政支援助成金のかたちで、最大500億ユーロ(約6兆円)を提供。
また、住宅や暖房の費用を含む生計に関する影響を受けた個人には、最大100億ユーロ(約1兆2000億円)の支援を予定している。
参照サイト:
https://www.independent.ng/germany-releases-e50-billion-aid-package-for-artists-cultural-businesses/
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/03/post-92928_1.php
わずか2週間のあいだにドイツ政府が提示した生命危機を守るための経済システムは、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために欠かせない市民との信頼関係を再構築していく架け橋になっている。実際こうした支援金は、複雑な手続きではなくオンラインで簡単に申請ができ、問題がなければ数日後には銀行口座にお金が振り込まれるという驚きのスピードであった。
一定額の支援金をもらえるということ自体は、魅力的に見えるだろうが、あくまで苦しい状況に立たされている人々の生活を支えるものなので、必要以上にもらいすぎた分は、もちろん返金する必要はある。
また、予想を上回る多くの申請により、予算がオーバーし、予定されていた支援が一部打ち切り、支援の内容が変更された。
支援内容の条件の差などによる混乱が、支援を受ける側には起こっており、公平なサポートを求める声があがっているのも実情だ。
これらの対策や細かい施策の内容などは、協議中のもの含め、正直、これから検証が必要になってくるだろう。
私たち市民も、この非常事態において政府のビジョンや現行の社会システムを、改めて見直し、ジャッジする機会を得ているのは間違いない。
そういう意味では、今回の政府の自粛要請、首相をはじめとする国のトップの姿勢、そしてサポート体制のセットは、厳格な罰則や監視システムなくして市民の協力を得る結果を導きつつあるのではないかとも感じている。
3月末時点の各種世論調査において、与党のキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)の支持率は、2月末から5~9ポイント上昇したそうだ。
ポストパンデミック後の世界を探るヒントとして、この記事では、ヨーロッパ、ドイツにおける生体監視システムの動向から読み解く民主主義の形、自律的な市民の行動を生みだす政治や医療専門機関との信頼関係の形を読み解いてみた。
次のvol.2の記事では、外出自粛生活のメンタルを支えた自然に焦点を当てて、人と地球環境の共生について考えてみたい。
TEXT BY SAKI HIBINO
ベルリン在住のプロジェクト& PRマネージャー、ライター、コーディネーター、デザインリサーチャー。Hasso-Plattner-Institut Design Thinking修了。デザイン・IT業界を経て、LINEにてエクペリエンスデザイナーとして勤務後、2017年に渡独。現在は、企画・ディレクション、プロジェクト&PRマネージメント・執筆・コーディネーターなどとして、アート、デザイン、テクノロジーそしてソーシャルイノベーションなどの領域を横断しながら、国内外の様々なプロジェクトに携わる。愛する分野は、アート・音楽・身体表現などのカルチャー領域。アート&サイエンスを掛け合わせたカルチャープロジェクトや教育、都市デザインプロジェクトに関心あり。プロの手相観としての顔も持つ。