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【After Coronaの世界 vol.4-2 】
ベルリン
地球環境×人の共生社会

新型コロナウイルスの外出自粛生活は、8週目を迎えた。
4月20日から、ドイツでは、800平米までの一部店舗は条件付きで営業可能となった。

飲食店などは、引き続き閉鎖されているものの、徐々に規制の緩和が取られ始めている。また、ベルリン市では、4/27から公共交通機関を利用する際は、マスク着用が義務付けられることになった。

出典 : Neue Corona-Maßnahmen in Berlin – was sich ändert, was gleich bleibt, Tagesspiegel

ポストパンデミック後の世界を探るヒントとして、Vol.1では、信頼をテーマに、EUで開発されている生体監視システムや政府の対応に焦点をあて、自律的な民主主義の形について考えてみた。

この記事では、2ヶ月にもおよぶ外出自粛生活の中で、心の支えとなっている”自然”との向き合い方について綴ってみたい。

自然に救いを求める境地

ドイツでは、接触禁止令により、出勤、介護や看病などの世話、試験や手続きなどの予定、軽い運動といった予定以外の外出は自粛されている。外出には身分証を持参しなければならず、単身か家族以外では、自分+1人の同伴のみ許可。個人宅での集まりも禁止されている。

自宅中心の生活を楽しむため、他国でも見られるように、自身を含め友人たちは、ヨガやエクササイズ、料理、習い事、DIY、読書などに没頭している。

誰にも会わず、自宅にいると、2週間を超えたあたりくらいから、さすがに精神がこたえてくるのを感じる。
オンライン中心の生活にも疲れを感じ、少し距離をとるようになっていた。

そんな私を救ってくれたのは、自然と触れ合う時間だった。
コロナ疲れに参っていた精神が、自然に触れることでプロダクティブになっていく自分に気づき、今では、軽い運動も兼ねて、週に数回、近所の公園を散歩したり、自転車で森や湖に行くことが日課になっている。

サイクリングで訪れた森。誰もいない森を散策。

太陽の光、そよぐ風、木々や花、大地、鳥の鳴き声、虫や動物、春の匂い。

自粛の反動なのか、今まで当たり前に見ていた自然の感触を、内側からより敏感に感じようとしている自分に驚いた。
自分の身体との感覚的な関係を築いていること、この感覚は「私」に限定されるものではなく、「私」に触れてくる他なるものとの関わりの中で生じるということを改めて考えている。

サマータイム。夜19:30頃に日が沈む。

新たに気づく自然のパワー。
こんなにも、尊く、美しいものだったかと、改めて実感している。

自分への配慮と他なる存在への配慮とのあいだの深い結びつきをみることがエコロジーであるという感覚を内省する機会。
日常生活の中から、そんな気づきを得ることができる自然にどれだけアクセスしやすい環境に自分がいるのかという状況に、ここまで感謝したことはない。

ベルリン市民も、天気がいい日には、公園や自然スポットに軽い運動に出かけている姿を目にする。

単身、2人、家族となら距離をあけつつ会うことはできる。
ピーク時はソーシャルディスタンスが心配になるほど人が集まることも。

コロナウイルスがもたらした非常事態とも言える現実において、「都市の中の楽園」ともいえる自然に私たちは「救い」をもとめている。

この気づきから、コロナが終息したら、自然にもっと近い生活がしたいという気持ちが生まれている。
もっと頻繁に森や湖へサイクリングに行ったり、もっと自然にあふれた場所に一つ拠点を持ってもいいかもしれない。

誰もいない湖。ベルリン近郊には、湖もたくさんある。

ベルリンの友人たちが、郊外にも拠点を持ったり、コミュニティガーデンを借りたり、森や湖に頻繁に行く理由が、わかった気がする。

公園は生活の一部

今回の自粛生活は、自然のありがたみを感じるとともに、「都市の中にどう自然が組み込まれているか」という点も、改めて考えるきっかけとなっている。

ドイツの首都であるにも関わらず、リラックスしたベルリンの雰囲気は、緑の多さと屋外の広い道や大きな公園といった空間も作用していると感じる。各地区に公園は必ず数個はあるし、少し外側のエリアに行けば、多くの森や湖も広がっている。
アクセスがしやすいこともあり、普段の生活から、ベルリンの人たちは自然との距離が近い。仕事終わり、週末には、多くの人が自然に集う。

また、これらの自然スポットは、大体が広い。
例えば、公園。
ベルリンに引っ越したばかりの頃は、その広さに驚いた。
そして、どの公園も、広さがある上に、建物や遊具などが一切ない、芝生や木々だけが広がる余白のスペースが必ずある。

ティーアガルテン。
ティーアガルテン。森のように広い公園には、鳥や動物の姿も。

ベルリンの中心ミッテ地区にあるティーアガルテン(Tiergarten)は、総面積210ヘクタール。森のように茂る木、色とりどりに咲く花、小さな湖やそこに浮かぶ島もあり、都市にいるのを忘れてしまうほど、のどかだ。野ウサギやリス、キツネ、野鳥なども見ることができる。

ベルリン最大の公園、テンペルホーフ空港公園

私の家の近所にあるテンペルホーフ空港公園(Tempelhofer Feld)は、冷戦中、アメリカ軍が西ベルリンに物資を運んでいた空港だった。2008年、空港が閉鎖になったあと、その活用方法については論争が何年も続いたが、今では総面積386ヘクタールのベルリン最大の都市公園に生まれ変わった。一切大きな建物はない緑地には圧倒される。かつての滑走路は、サイクリング、ジョギング、スケート、凧揚げなどに使われ、人々が芝生でくつろいだり、BBQスペース、野鳥の保護区、コミュニティガーデンの区画もある。

テンペルホーフ空港公園にあるコミュニティガーデン

テンペルホーフ空港公園のように、かつて別の用途で使われ、公園に生まれ変わったケースは他にもある。
例えば、クロイツベルク地区のゲルリッツ公園(Goerlitzer Park)は戦前まで、ポーランドとの国境に位置する街へ発着する鉄道の駅だった。公園には、かつての駅の建物や地下道を見つけることができる。
プレンツラウアーベルク地区の壁公園マウアー・パーク(Mauerpark)は、戦前は貨物駅だった。冷戦時、東西を隔てていた壁が敷地内に残っている。
ゲルリッツ公園とマウアーパークも、広い空き地のスペースがそのまま活かされた公園だ。

一面に広がる芝生や森は、見ているだけも気持ちがいい。
この余白のスペースを、訪れた人は自由に楽しむ。
公園でぼーっとしたり、読書をしたりする人。友人や家族、パートナーとビールを飲んだり、ピクニックをしながら、語り合ったり。運動を楽しんだり。音楽を奏でる人も。

私は、芝生の上で大の字に寝っ転がり、空をみることが好きだ。
コロナ前は、友人たちとよく公園や川沿いでビールを飲んでいたことも懐かしい。
今思うと、東京にいた時よりも、自然にアクセスし、心を落ち着かせる生活がいつしかあたり前になっていた。

自然の中で余暇を過ごす、クラインガルテン

自粛期間、公園や森の他に、印象に残った場所がある。
それは、クラインガルテン(Kleingarten)と呼ばれる貸し農園だ。
200年あまりの歴史をもち、ドイツ語で「小さな庭」を意味するクラインガルテンは、市民が農業を楽しむガーデン(畑)の賃貸システムを指す。

ラウベ(小屋)と庭がついて、花や野菜を育てている。
各区画は隣合わさっている。

都市のグリーン計画の一環として始まり、今では、庭のない都会の集合住宅に暮らす人々の余暇に使われている。
現在ベルリンには、877の農園があり、約2,900ヘクタール、70,953の区画がある。
クラインガルテンには、1区画100㎡〜300㎡の賃貸区画が集合しており、芝生やガーデン、畑の割合など細かいルールに沿って運用されている。

子供の遊具とプールのある庭

ラウベ (laube) と呼ばれる小さな小屋が併設されており、キッチンやトイレ、小さな部屋など、週末過ごすにはちょうどいい広さ。
野菜や花を育てたり、子供の遊具を設置したり、サマーハウスのように余暇を過ごす場所として使う人もいる。

夕方軽い運動で、サイクリングをしていたら、クラインガルテンで農作業をしたり、子供と遊んだり、家族でごはんを食べたりと、思い思いにくつろぐ人の姿も見かけた。

コロナによってディストピアが訪れたという話を耳にする中、鳥がさえずり、花や緑が咲き乱れ、人々が笑顔でリラックスするその景色は、混乱の中とは思えないほど穏かで美しいユートピアを彷彿とさせた。

夏に、友人のクラインガルテンで行われたBBQ。

都市の中の余白は、私たちの時間、思考、精神性にもゆとりを与える。
先にも書いたが、これは、パンデミックの中の一種の楽園「精神のセーフティ・ゾーン」のようにも思う。

紐解いていくと、皮肉にも私たちは、自分たちが地球環境を壊してきた結果、起こったかもしれないこの非常事態において、自然に救われ、繋がりたいと感じている。

かつて、人間が自然や他の生物と共生をはかってきた意味を改めて問うべきだろう。

人間だけが幸せを享受するのではない。
自然や生物も繁栄していくエコシステムをどうデザインしていくか。

そのきっかけとして、今回「精神のセーフティ・ゾーン」が、どれだけ日常生活の中からアクセスしやすい環境に自分がいるのか?その環境をどう作れるのか?
この非常事態において、改めて考えさせられたポイントである。

空き地ができたからといって、自分たちの経済的な利益のためにビルや商業施設を建てるだけではない。
ベルリン市やそこに住む人々の自然や生物に対する政策や向き合い方を見ていると、「本質的に豊かな都市とは?」という点を改めて考えさせられる。

コロナ危機が気づかせた自然との共生社会

4/21、ベルリン議会(上院)は、都市の緑化の保全と発展に関連する行動計画「Berliner Stadtgrün 2030」を発表した。

人口の増加により、居住施設や商業施設の建設などと、空間の分配をめぐる競争が激化するベルリン。公共空間の利用に対しても経済的な利益を求める圧力が強まっている。

こうした事態の中、ベルリン議会は、ベルリンの自然は、気候変動、生命多様性の視点、そして私たちの幸せのためにますます重要になってくると見解し、都市のグリーンインフラストラクチャに関して、政治的なコミットメントを含めた長期的な戦略を構想している。

環境・交通・気候保護担当のRegine Günther上院議員 はこう述べている。
「例外的ともいえるコロナ危機の中で、我々は再び、都市の緑地や都市のオープンスペースが、私たちのレクリエーションと幸福のためのものであるかどうかを考えることは重要だと思っています。特に成長する都市の開発において、都市の中にある貴重な緑地は、必要不可欠な部分であることを考慮して、開発を慎重にすすめて行かなければならない。今回の計画では、ベルリンの公園や緑地を長期的に確保、保全し、可能な限り拡大し発展させていくことが目的です。もっと緑を増やし、管理施設の質を高め、整備を充実させるというトライアンドエラーが成功につながります。」

「Berliner Stadtgrün 2030」では、公園や市民農園、屋上や壁面緑化など都市の緑化の拡大、緑化を支える花粉媒介となる生物に焦点をあてた生命多様性を高める生態系の構築、庭師などの人員の拡大によるメンテナンスという3つの目標を掲げ、様々なパイロットプロジェクトを行なっていく予定だ。

東京の都心よりも自然が多いと感じていたベルリン。
コロナウイルスによる危機によって、議会はさらに緑化に力を入れる姿勢をみせ、ベルリン市民にとって自然がどれだけ大切かがはっきりとわかる施策を打ち出した。

生命多様性の視点も含む、持続可能な緑化の発展という観点においては、「私たち人間だけでなく、自然や生物と共に繁栄していく視点やメカニズムを持った共生社会をどう育てていけるか?」という挑戦も含まれている。
今後の具体的な施策が気になるところだ。

参照サイト : https://www.berlin.de/rbmskzl/aktuelles/pressemitteilungen/2020/pressemitteilung.923418.php

このパンデミックが起こる前、ヨーロッパでは気候変動の運動が一つのムーブメントとであった。

コロナウィルスの影響で、中国やインド、アメリカを中心に世界中で工場の稼働が停止した。世界中の航空便数も交通量も激減した。移動による人の密集も減少した。
その結果、世界のCO2排出量は大きく減少し、大気汚染が改善した例が各地でみられている。

一時的に、気候危機に対するポジティブな兆しが見えるが、新型コロナウイルスが収束し、経済活動が再び戻った時に、各国政府や企業がどんな決断を下すかで、気候変動問題はさらに悪化するリスクもある。

生物多様性保全の重要性という観点において、霊長類学者のJane Goodallや国連で生物多様性条約の事務局長を務めるElizabeth Maruma Mremaは、今回の新型コロナウイルスを例に挙げ、人間が動物や環境を尊重しず、自然を破壊し、介入しすぎたことで、本来は近づくことがなかった野生動物と触れ合う機会が増え、動物から人間へとウイルスが感染する人獣共通感染症のリスクが高まっていると警鐘を鳴らしている。

参照 サイト : https://www.nytimes.com/aponline/2020/04/20/us/ap-us-tv-qa-jane-goodall.html
https://www.theguardian.com/world/2020/apr/06/ban-live-animal-markets-pandemics-un-biodiversity-chief-age-of-extinction

「われわれは皆、共生的な存在であり、他の共生的な存在と絡み合っているのです」
と述べるのは、21世紀のエコロジー思想を牽引する哲学者の一人であるティモシー・モートン。彼は、「STRP festival」に寄稿したエッセイの中で、新型コロナウイルスとの「共生(symbiosis)」をとおして、「人間中心主義」を見直し「人間、動物、モノ」の境界線を我々に問いかけている。

参照 サイト : https://strp.nl/program/timothy-morton?thumb=aHR0cHM6Ly9zdHJwLm5sL3VwbG9hZHMvaW1hZ2VzL3Byb2dyYW0vX3RodW1iL1NUUlBfRmVzdGl2YWwyMDIwX0Nvcm9uYUVzc2F5c0Jhbm5lcl92Mi5qcGc%3D

パンデミックは、今後の私たちの世界の方針、人間の活動自体の転換を問う機会である。この事態は、自分たちが地球環境を壊してきた結果、起こったかもしれないのだ。コロナ収束後、私たちは、自然と人、社会の関係をどう捉えることができるか?

ポストパンデミック後の世界を探るヒントとして、地球環境との共生を目指す社会変革、自然に対する個人の意識の変容について考えるきっかけになればと思う。

TEXT BY SAKI HIBINO

ベルリン在住のプロジェクト& PRマネージャー、ライター、コーディネーター、デザインリサーチャー。Hasso-Plattner-Institut Design Thinking修了。デザイン・IT業界を経て、LINEにてエクペリエンスデザイナーとして勤務後、2017年に渡独。現在は、企画・ディレクション、プロジェクト&PRマネージメント・執筆・コーディネーターなどとして、アート、デザイン、テクノロジーそしてソーシャルイノベーションなどの領域を横断しながら、国内外の様々なプロジェクトに携わる。愛する分野は、アート・音楽・身体表現などのカルチャー領域。アート&サイエンスを掛け合わせたカルチャープロジェクトや教育、都市デザインプロジェクトに関心あり。プロの手相観としての顔も持つ。

Published inAfter CoronaBerlinClimate ChangeEcologyEuropewell-being対抗文化の新都より