効率至上主義がもたらした生態学的な危機にもとづく様々な問題が深刻化する昨今。Ecological Memesは、エコロジーや生態系をテーマに、これからの時代の人間観やビジネスのあり方を探っていく領域横断型サロンだ。
2019年12月に、「あいだの回復」をテーマにしたフォーラムを北鎌倉・建長寺で開催。次の時代に求められる本質的な価値観を見出すため、身の回りの世界や自分自身にとっての”あいだ”と向き合う様々なアプローチを試みたこのフォーラムの様子をレポートする。
“あいだ”と向き合う1日の幕開け
わたしたちの欲望が資本主義を加速させ、テクノロジーの進化はいつのまにか企業や国家のパワーと強く結びつき、それらによって囲い込まれた社会で暮らすことが当たり前となっている。
現代社会が生み出す極端な政治・経済・文化の分裂に対して、我々はどう抵抗し、その問題を超えていくことができるか。
その時に改めて問われるのは「ヒューマニティ」であろう。
ヒューマニティーを多様な視点で思考する際、重要になってくるのは、白黒つけられないグレーゾーンを大切にできる余白、余情をどれだけとれるかという点。
人間(文明)と自然という対立の構造を超え、包括的に複雑な生態系を考察することで、ヒトを捉え直す機会が求められている。
これまで世界をリードしてきた近代西洋文明をベースとしたパラダイム。
しかし資本主義の行きづまりとともに、ブレグジットをはじめとする政治的な分断、難民・移民問題からうまれる軋轢、気候変動など、地球規模の深刻な問題が次々と顕在化。
多様な価値観が共存する現代社会の中でこのパラダイムが揺らぎ始めた今日、筆者が拠点としているベルリンやヨーロッパでも、揺り戻しのように見直されているのが、余白の概念を含む東洋思想だ。
東洋思想をテーマにしたシンポジウムやワークショップをはじめ、日常では精神の充足を求めたマインドフルネスやヨガなどの瞑想ブーム、自然との共存を意識した都市設計、ものを所有/消費する概念よりもシェアをして長く使うなどといったサスティナビリティを重視するサービスなど、東洋的な思想やエコロジーな考え方に影響をうける事例もみられている。
今回参加したEcological Memesは、領域横断の知見を掛け合わせながら、生命的な感覚や東洋的な知性に根ざしたエコロジカルな思想・文化を社会に実装することをミッションに掲げている。
ヒトと自然。
知性と感性。
意識と無意識。
因果性と偶然性。
頭と身体。
そして、わたしと世界。
生態系を育んできた地球の様々な事象の”あいだ”にこそに、持続可能なエコシステムや人間性や創造性を育むヒントがあるのでは?という仮説から生まれたテーマ「”あいだ”の回復」。
エコロジーや生態系を切り口に、トークをはじめ、多様なテーマを扱うワークショップが展開された。
講演登壇者には、多摩大学大学院教授 / 慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(SDM)特別招聘教授 紺野登氏、京都市ソーシャルイノベーション研究所 所長 / 長野県立大学グローバルマネジメント学部教授 大室悦賀氏、環境神経学研究所代表 藤本靖氏を迎えたほか、体験型のセッションでは、協生農法、遊び、森のリトリートといったテーマで活動を行っているゲストの方々が招かれた。
創造性をひらく鍵は身体の回復
特に印象的だったのは、環境神経学研究所代表 藤本靖氏による自己や他者の身体をとおして、”あいだ”の感覚をとらえる身体ワークのセッションであった。
上智大学、筑波大学大学院で神経生理学、ボディワークを教える藤本氏は、ヒトの脳や自律神経系のシステムの研究を専門領域とし、「神経系の自己調整力」に基づく「快適で自由な心と身体になるためのメソッド」を開発。
プロスポーツ選手などからもゴッドハンドの異名を持つ手技療法師として信頼が厚い。
また、簡単で効果が高い疲労回復のワークが注目され、Google米国本社の研修プログラムで採用された他、教育や医療機関・民間企業など幅広いクライアントと心身のセルフマネジメントのプログラムを開発も行なっている。
身体のある部位の機能障害が起こった時に行われる手技療法は、部位に対し、外から力を加えることによって、身体を矯正するタイプが多い。一方、藤本氏のメソッドは、「身体が自然に整う力(=自己調整力)」が引き出されるよう、そっと触れるだけという繊細なはたらきかけにとどまるのが特徴だ。
外から力を加える矯正法は、時間が経つと、もとに戻ってしまうのに対し、触れるだけの療法は、今ある身体の状態を尊重しつつ、より自然な変化の可能性を身体が探求することにつながるという。
「触れる部位の感覚は研ぎ澄まされます。
筋肉が異常な状態に気づき、勝手に正常な位置に戻そうとするのです。
この時に一番大事なのは介入しないということ。気づかせてあげることで、身体が持っている自己調整力を伸ばすのです。」
自身の療法の中で”あいだ”を意識する瞬間は、相手の部位に触れているときだと藤本氏はいう。
触れた時に伝わる体温や流れる血液などの反応が、相手の感覚なのか、自分の感覚なのかを自覚する必要性があるからだ。
部位に触れる際、自身の感覚を、自分と相手のまわりを流れる空気=”あいだ”に向けることで自分と他者の感覚の違いが見えてくるそう。
「あなたを見ると、あなたしか見えません。
自分を見ると、自分しか見えません。
両者が持つ”あいだ”を見ることで、反転して自分と相手のお互いの全体像が浮かび上がってくるのです。」
藤本氏が話すこの考え方は「知覚の反転」と呼ばれる。この方法を応用し、「見えない世界」を感じる実践をしているという。
一見すると、非常にスピリチュアルな話にも聞こえるが、神経科学的にとらえることができるこのアプローチ。
見えない反転世界を感じる身体感覚の実践には、外から入ってきた情報を伝達する五感(自己受容感覚)を、自分の内側をはしる自律神経系の内臓感覚(内受容感覚)に落とし込んで、身体感覚の整合性を確認するスキルが必要とされる。
腸だけでも1億個以上の神経が走り、体制神経に比べると、はるかに多様性に満ちている内臓感覚。感覚という観点に着目すると、外側から受けとる情報に対して、自分の内側が発信する情報にゆたかな可能性を見出すことができる。
内臓感覚を鍛えることは「自分の内側から何を感じるか」を研ぎ澄ますことである。内臓感覚がないということは、自分がないともいうことができるだろう。
たえず変化する環境の中で、状況にあわせ、自己をどう確立していくかというセルフコンディショニングにも関係する内臓感覚。
反転世界を思考することは、世界や自分の見方が広がると同時に、明確に自己や他者、世界をとらえる可能性もそなえている。
このセッションで体験した”あいだ”の考え方、知覚の反転は、視点を変えたら、現代社会における様々な問題や既存の社会システム、ビジネスに対しても応用できるだろう。
言語化だけでも、知覚化だけでも、言い表せない直感的な感覚。
人間が本来持っている身体性の回復が、創造性を広げる鍵になるのだ。
あそびが諭す”あいだ”の豊かさ
ワークショッププログラムも充実していた。
岐阜県郡上市に拠点を持ち、「根っこのある生きかたを、つくる」をコンセプトに、都心部で暮らす若者と、地元の人が共創活動を行う「郡上カンパニー」による”あいだ”とあそびの関係性を探るワークショップ。
郡上の自然と人の魅力に惚れこみ、勤めている会社に籍をおいたまま、家族で郡上へ移住したというディレクターの岡野氏。ハードな環境で仕事をしていた彼は、自律神経の病気にかかり、休職。
自分の生き方について模索し続けていたある日、自然の中であそぶ体験をとおし、素直な自分にかえる感覚が湧きあがってきたことに気づいたという。
「自分にとってあそぶことは、魂を解放して没入すること。
さらにその土地の自然や文化に浸ることでで、本来の自分を取り戻し、何がしたいのか未来について考えるエネルギーが湧いてきました。」
郡上で岡野氏が出会った自然案内人の由留木氏、民謡などをとおし、土地と人をつなぐ唄い手の井上氏、東京藝術大学で美学の観点からあそびを研究する渡辺氏を招き、郡上の人と自然の関係性や、コミュニティの生まれ方などの話から、”あいだ”を豊かさを体感するために、あそびの実践が展開された。
心を解放してあそぶ時間は、都市部の生活で凝り固まってしまった自分に気づかせ、かつて日本社会全体にあったような本質的で素直な人や自然とのつながりを取り戻す貴重な体験となった。
ライフワークバランス、自然との共生、本質的な人とのつながり、自発的な文化、多様な価値観の受容。
このワークショップで浮かび上がってきたキーワードは物質的充足より、心の充足に価値をおく傾向にあるベルリンでの暮らしの中では非常に重要なポイントになってくる。
資本主義的な価値観に疑問をいだき、精神的なしあわせを追求したときに必要な創造性の余白が、都市や、暮らし、教育、ビジネスにおいて組み込まれている。
この点は、日本の都市部とは少し異なる構造だと、今回の日本滞在で改めて実感した。
難民・移民問題や気候変動問題をはじめ、さまざまな問題に揺れているヨーロッパ。
過剰な資本主義、多様な価値観との共存などのテーマに対し、大小異なるシンポジウムやフェスティバルなどで、東洋思想にもとづく議論は見受けられるようになってきた。
しかし、海外の目からみたステレオタイプな”東洋思想”が広がりがちなのは否めない。
たとえば、どちらかを選び取るORではなく、ANDの価値観で総体的に事象や自身の位置(軸)を確認することで生まれる余白の感覚や配慮、独特の世界観などは、言語化することがなかなか難しい。
だからこそ、世界や自分自身にとっての”あいだ”を、東洋的な生命感覚や知性に根ざしたエコロジカルな視点で再考する思想は、政治・経済・文化面で混乱下にあるヨーロッパにおいても議論したいテーマである。
特に、今回のフォーラムで体験したように言語だけではない身体感覚をとおして思想を理解し、議論するという手法は、多様化する価値社会において、必要とされる貴重な体験となるはずだ。
TEXT BY SAKI HIBINO
ベルリン在住のプロジェクト& PRマネージャー、ライター、コーディネーター、デザインリサーチャー。Hasso-Plattner-Institut Design Thinking修了。デザイン・IT業界を経て、LINEにてエクペリエンスデザイナーとして勤務後、2017年に渡独。現在は、企画・ディレクション、プロジェクト&PRマネージメント・執筆・コーディネーターなどとして、アート、デザイン、テクノロジーそしてソーシャルイノベーションなどの領域を横断しながら、国内外の様々なプロジェクトに携わる。愛する分野は、アート・音楽・身体表現などのカルチャー領域。アート&サイエンスを掛け合わせたカルチャープロジェクトや教育、都市デザインプロジェクトに関心あり。プロの手相観としての顔も持つ。