前回の記事では、コスタリカの田舎に存在する「本当の豊かさ」を支える新たな観光モデルについて紹介しました。
今回はそれに引き続き、筆者自身の実体験を踏まえて、コスタリカで感じた本当の豊かさについて述べていきたいと思います。自分はそれを「時を貯める」生活と表現していますが、この表現は映画「人生フルーツ」というある建築家夫婦の生活に迫ったドキュメンタリー映画で出てくるものです。
毎日を積み上げることで、金銭的な価値観に囚われず人生をだんだんと豊かにしていくという考え方は、私がコスタリカで体験したことに近く、まさにぴったりの表現だと思っています。「時を貯める」生活について詳しく知りたい方は、上で紹介した映画をぜひご覧になってください。
コスタリカ流「余白」のある生活
まずコスタリカの「余白」のある生活について。コスタリカは地球幸福度世界1位の国であり、国土のほとんどが草原やジャングルで覆われているようないわゆる「田舎」の国。そんな国で暮らしてみると、日本のような先進国では味わえないような生活リズムとそこから得られる心境変化を体験することができました。自分の場合は、下の写真のようなエリアに合計で3ヶ月程度生活していました。
コスタリカのビーチにはジャングルが隣接していおり、さまざまな自然と触れ合いながらのんびりすることができます。一見リゾート地に見えるかもしれませんが、もっと落ち着いた静かな場所です。
「余白」のある生活は目的を忘れることから始まる
コスタリカの田舎暮らしを始めて最初に訪れた変化は、1日の生活リズムが朝方にシフトしたこと。朝5時には起床、夜10時には就寝することで、心地の良い疲労感を感じながら1日を終えることができていました。
また、これまでは気づかなかったような、身の回りの美しいものを前にふと立ち止まることが増えました。日本ではみられないような野鳥、動物、昆虫、植物などを見て綺麗だなと感じていたのですが、恥ずかしいことに1年前はこうした存在を「汚い」とさえ思っていました。というのも、泥が嫌いだったからです(笑)。
1日の仕事・作業を終えて夕日が出てくる時間帯には、ビーチに向かい、ただ何をすることもなく、波の音でリラックスしながら夕日が沈んでいくのを眺めます。その頃には、心地の良い空腹感が襲ってくるので、地元のレストランに行ってコスタリカの郷土料理(Casado)を嗜んで、就寝の準備をする。言葉で表現するのは難しいのですが、これが「余白」のある生活リズムだなと感じました。
それは”Stay Chill”(ゆっくりのんびりとしたライフスタイル)という言葉で表現される生活で、自分を生き急がせる要素が身の回りに存在しないことで実現されます。身の回りにあるのは豊かな自然で、自然のリズムと同調するような生活を送っていました。そのときは「起床した後は何時までにタスクを終わらせて、掃除・洗濯を終わらせた後に友人に会いに行く」というような、張り詰めた目的やタスクという概念が存在していないことが重要でした。
こうした生活を東京のような都市部実現することは難しいかもしれません。コスタリカでの生活を経て、いまの自分には都市部の生活は効率的すぎるように感じます。まず友人と遊ぶにしても、ただ散歩するにしても、仕事をするにしても、ついその目的や生産性を考えてしまうからです。都会の生活リズムに慣れていくうちに、自然と目的ベースで生きてしまう。だから休日をだらだらと過ごしてしまったりすると、「ああ、一日を無駄にしてしまったな」と感じてしまいます。明確な目的がなくとも心地よく生きていける生活リズムを、少なくとも自分はまだ東京のような都市部で見たことがありません。
もちろん全員に当てはまるわけではありませんが、ふと立ち止まって、自分の美意識や内面を見つめ直す時間に乏しい、生活に「余白」がないことが、都市生活の汚点だと思います。
話を戻しますが、「余白」のある生活を続けていると、自分が内面で感じていることや自分の美意識と向き合う時間が増えるので、自然と新たな趣味が増え始めます。自分の場合は、後述する写真撮影、映像制作、ハイキング、キャンプ、ブログ(Note)をこの1年以内始めて継続することができています。
地元住民からの影響で始める新たな趣味
新たな趣味は内発的動機のみならず、他人の影響で生まれることもあります。第一回の記事にも書きましたが、コスタリカの田舎にはさまざまな国の人で構成されるホテルやホステルを起点としたコミュニティがあるので、同時に多様な文化に触れることができます。そこから影響されて自分の場合は、マインドフルネスやヨガ、サーフィンといった新たなことに挑戦する機会がありました。
そうして「余白」のある生活リズムに浸り、自分の内面に素直になっていくうちに、自分の内側にある美意識や新たな気づきのようなものを「表現したい」と思うようになりました。コスタリカで過ごす間は目まぐるしく人生観や感覚が変わっていったので、その変化を捉えようと多くのことをさまざまな媒体で積み重ねようとしたのです。これは、冒頭でも述べた「時を貯めていく」という感覚に近いです。
「時を貯める」を実践した例として、写真・映像と言語化の2つを挙げながら自分自身のなかに起きた出来事を紹介します。
写真・映像に表れた変化
元々、写真や映像といったものに対してまったく興味はありませんでした。しかし、入学したCIIDというデザインスクールでは、1週間単位でリサーチからコンセプト作り、プロトタイプまでを実践しており、その過程で写真・映像を撮る機会がたくさんありました。リサーチやプロトタイピングのプロセス、作成したプロダクトの写真など、多くのジャンルの写真・映像に挑戦するうちに自然と写真や映像に興味を持っていったのです。
最初は、コスタリカの雄大な自然などいかにもインスタ映えしそうな写真ばかりを撮っていたわけですが、コスタリカに感化され、徐々に自分が「綺麗・美しいと思うものは何だろう」と考えることが増えていきました。それは構図であり、光であり、色合いであったりするわけですが、やっている内に自分の写真や映像のスタイルが大きく変わっていることに気づきました。
写真を始めた頃は上記のように、暗くてムードのある写真を好んでいました。そのため撮影時間帯は夕方など一日の終わりにかけて撮影することが多かったです。
コスタリカの乾季に入ってから、日中の晴天時にも撮影することが増え、色合いも次第にペールトーンの写真が増えていきました。
写真を始めた頃は単純に美しい景色や自然に感化されてシャッターを切っていたのですが、「撮らされている」という感覚が強く、旅行した時に主に写真を撮っていました。
被写体がライフスタイルに寄っていったのは、コスタリカで出会った人に感謝を覚えるようになったからだと今では認識しています。
重要なのは写真のスタイルが変わった理由で、それは自分の価値観や美意識に変化が表れたことを意味しています。しかし、変化の理由を言語化することが非常に難しく、感覚的になってしまった点に課題感を持っていました。変化を内省しようとするのではなく、写真や映像といったビジュアルを撮りためていくほかなかったのです。ただそうしてビジュアルを撮りためていく行為は「自分の内面の変化を感じる」「自分の成長を知る」ことを味わうには十分で、なぜかをすぐに言語化することはできないものの、自分がその時大切にしている感覚を認識することはできました。
自分が積み重ねたものを将来のために書き連ねる
とはいえ、言語化を諦めたわけではありません。言語化できたものからnoteというブログサービスに書き連ねることも始めました。これは自分の性格に強く依存しているのかもしれませんが、自分が得た学びや気づきを理解したいという動機の表れです。また将来自分が何かに迷った時に自分の軌跡を振り返るためのものでもあります。
例えば、先ほど写真や映像のスタイルが変化した理由を言語化することは非常に難しいと述べましたが、それを自分なりに解釈できた時には、下の記事のようにnoteにまとめています。
[表現する手段を持つということ: 写真を通して自分の人生を豊かにする|Kosuke Machida|note]
テキストとして何かを積み重ねるという行為は、現時点ではなかなか気づけないかもしれないのですが、将来見返した時に、自分が大事にしてきたもの、自分にとって楽しいことを振り返る良いきっかけになります。
このように、自分のなかで起きている変化に着目し、それを何らかの形で積み重ねることで、自分なりの価値観や豊かさというものを把握していきました。まるで「時を貯めて」いくような生活のきっかけを与えてくれたのはコスタリカの自然、文化、人であり、そんな環境にとても感謝しています。
お金がなくても生きていけることに自信が持てるように
いま思えば、自分が東京で生活している時は、キャリアや金銭、モノが充実していることに喜びを感じていたように感じます。中学を卒業したくらいから、将来を見越してできるだけ偏差値が高い大学に入ることを意識していましたし、就職活動時には大した動機もないのに、評判や給与だけを意識してコンサルティング会社に就職しました。それはすべて「お金をはじめとした物質的なものの豊富さに依存していれば苦労することはない」という認識があったからで、逆に言えばそうしたものを失うということで、自分の価値が下がってしまうと感じていたからです。
コスタリカに来て、コスタリカの田舎に住んでみて、その認識がすべて変わったかというとそうではありません。しかし、少なくともお金に依存せずとも自分の価値観、生きがい、スキル、人間関係を重視して生きていくことに自信を持てるようになったことは確かです。実際自分の場合は、フリーランスのフォトグラファーとして生計を立てていけそうなことも分かりました。
大企業に入って、どこか好きになれない、自分事として捉えられないビジネスに時間をかけた代償として、高いお金をもらいながら生活をする暮らしではなく、少ないながら生活には十分な程のお金やモノを手に入れながら、自分が今感じているスキや美意識をベースとして暮らす生活へ。そんなシフトへのきっかけをくれたのが、コスタリカという国でした。いまは近い将来、どこかの国の田舎で自由にフォトグラファーとして活動しながら生活していきたいと考えています。
日本で本当の豊かさに気づくには
二回に分けて自分がコスタリカで経験した「本当の豊かさ」について述べてきましたが、これは日本の田舎暮らしにも当てはまることだと思っています。異国の地に行かずとも、この4つのことを意識すれば、物質的ではない「本当の豊かさ」を享受することに近づけるはずです。
1: 「余白」のある生活環境に身を置く
目的や生産性を意識することは重要かもしれませんが、あえてそこから解き放たれ、「余白」のある生活環境に身を置くことが第一歩です。そうすることで、自分の内面と向き合う時間が自然と増えるので自分が大切にしていることに気づくきっかけが得られます。ただこうした生活環境は東京のような都会で実現することは難しいので、自分の故郷や知らない田舎に住んでみることが望ましいでしょう。
いきなり都会から田舎に移ることが難しい場合は、”多拠点生活”をお勧めします。幸い日本には多拠点生活という文脈で、コスタリカより圧倒的に多くのサービスが存在します。
[wataridori 〜 知らない地域で知らない自分を知る生活。]
まずは短期間でもいいので、「余白」のある生活が自分に適合するかどうか試してみることをお勧めします。
2: 自分とは異なる習慣・文化を持つコミュニティに参加する
いまの自分が知らない自分なりの豊かさを知るには、自分だけで何かをするのではなく、周囲の人から刺激を受けることも大切です。自分の場合は、コスタリカの田舎に暮らしていたときに、多くの国の人で組成されるコミュニティに属していたことから、新たな趣味に出会うことができました。
日本の場合は、コスタリカのように多くの国の人と接することが難しいと思うのですが、石山アンジュさんが提唱するような”拡張家族”という概念は個人的に面白そうだなと感じています。
まったく異なる職種や業界、成立ちの人と同じ部屋で生活することは想像がつかない部分もありますが、個人的には一度試してみたいと考えています。
3: ローコスト&シェアリングカルチャーのある環境に身を置くこと
自分なりの豊かさを探している最中は、現在のワークスタイルとのギャップに頭を悩ますことも出てくるでしょう。いまのワークスタイルを捨ててでも自分なりの豊かさを求めるのであれば、現在の収入レベルがなくても暮らしていける環境に身を置くことが重要です。そして、その分を補うためにスキルシェアやシェアリングエコノミーの文化が根付いた環境に身を置くことが望ましいです。その点で、自分のスキルや好きなモノごとを提供して自分の生活を支えられるコスタリカは、最高の環境でした。
4: 将来に向けて何かを積み重ねて記録していくこと
最後に、自分に起きた変化を捉えられるように、何事も積み重ねていく意識が重要です。写真やテキストなど明確な形ではなくても、自分の変化や成長を実感できる方法で記録をしていきましょう。近い将来それらを見返した時に、自分なりの本当の豊かさを認識できるはずです。
価値観の多様性が認められ、生き方の自由度が高まっているいま、もっと自分の好奇心や美意識に素直になって生きられるような世界が拡がっていくことを望みます。
TEXT BY KOSUKE MACHIDA
中米コスタリカ在住のフォトグラファー、ビデオグラファー。神奈川県小田原市出身。Copenhagen Institute of Interaction Design – Interaction Design Programme修了。2017年4月にPwCコンサルティング合同会社に新卒入社し、国内外の金融機関を対象として主にCXデザイン及びDX系のプロジェクトに従事。コスタリカ滞在時には、Copenhagen Institute of Interaction Designというデザインスクールに通いながら、フリーのフォトグラファーとして、ポートレート、ウェディング、ライフスタイル、プロダクト等を中心に撮影。スチル撮影だけではなく、プロダクトのコンセプトビデオを始めとした映像制作も手がける。 ポートフォリオはこちら: https://www.kosukemachida.com/