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思い通りに感覚をつくる

Intuition Design #1

人間の能力は10%しか使われていないという都市伝説があります。もしそれが本当だとして、残りの90%を開放したらどんなことができるだろう……。もしかしたら空も飛べるかも?なんて、ロマンのある想像が駆り立てられます。

私たちにはどんな可能性があるのか、そんな人間の可能性を少しでも垣間見ようと「デジタル空間における感覚拡張」というテーマでリサーチをすることにしました。

目的は、感覚を再定義しデジタル化することで、人間の感覚をもう一度深めて刺激する一連の流れを通じて、デジタル世界における人間らしい感性を取り戻していくことです。その先にあるのは、デジタル時代のウェルビーイングと言えるかもしれません。

とはいえ、そんな大それたテーマではありません。というのも、みなさんも日常生活のなかで、自分の隠れた可能性を見つけようと感覚を無意識的に刺激しているからです。その例として、私の学生時代の話を紹介します。

学生時代、私にはラジオを聴きながら受験勉強に励むという悪癖がありました。いつも、ラジオに気を取られ勉強が進まず、期限ギリギリに追い込まれるように課題をこなしていました。そんなある日、集中して勉強をしていると突然ラジオの音が消える感覚に落ち入ったのです。一度周囲の小さな音がクリアに聞こえるようになってから、全ての音が消えていきました。

それまで経験したことのない不思議な感覚でしたが、その瞬間だけ、なんだか自分が万能になった気がしたのです。その万能感が心地よく、それ以降は勉強時には音が消えるようにあえてラジオの音量を調節するようになりました。バックグラウンドでラジオを再生しながら徐々に音量を減らしていき、集中したいタイミングにストップするのです。

集中のメカニズムは、情報の選択です。自分に入力される情報が過多になる状況をつくり、その後に入力される情報を減らすことで一時的に脳にかかるストレスが減少します。すると同じような心地よい時間に没入します。そうして、擬似的に集中している自分の感覚を再現することにハマっていきました。

こうした経験をきっかけにして、私は外部的な刺激をデザインすることによって、隠れた感覚が引き出せるのではないかと仮説を持つようになりました。大学院や交換留学の時も、「感覚」が私の制作活動における中心的なテーマでした。

人間の感覚を「五感」と分類したのは古代ギリシャ時代のアリストテレス。それから2400年が経ちました。いまはAIを用いたレコメンドやロボティクスを用いた自動化に代表されるように、「人間の拡張」があらゆる活動の重要なテーマになっています。これから新しい体験をする私たちは、いやがおうにも今まで気づかなかった感覚を意識するようになるでしょう。人間の感覚が開きより豊かな生活を送るために、どのように感覚を設計することができるのでしょうか?

今回から「Intuition Design」と題して、複数回に渡りリサーチからわかってきたことをご紹介します。本連載の出発点は「人間には、視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚の5つの他に、隠れた感覚が存在する」という考え方。新しい感覚に気づき、刺激することで人間の能力をさらに拡張していくことを目指します。

第1回目のテーマは「思い通りに感覚をつくる」です。


第1部:感覚ってなんだろう?

感覚の再定義

感覚と聞くと、私たちは「五感」を思い浮かべます。そして、五感それぞれを働かせながら日常生活を送っているでしょう。しかし「第六感」という言葉があるように、本当に感覚は「5つだけ」なのでしょうか。実は生理学的に考えると、五感の一つである触覚は痛覚や温感覚など、より細かく分解できるとされています。

触覚(触れている感覚)=温度を感じる感覚+圧力を感じる感覚+振動を感じる感覚+……

これは、皮膚の中に存在する感覚受容器の種類に依存しています。触覚を司る感覚受容器はメルケル細胞・ルフィニ終末・冷覚・温覚・痛覚など多彩に存在し、それぞれが異なる感覚を生み出しています。このように、生理学的な仕組みに着目することで、数多くの感覚を再発見することができます。

● 感覚は「生理空間」から「心理空間」へ

生理的な外部刺激への反応だけが感覚ではありません。例えば、人と握手をすると温感覚で温かさを感じます。その手の温かさを感じたとき、どこか安心した経験はないでしょうか?この「安心感」のような心理的な感覚も、人間の感覚といえます。人は外部環境の変化が生じると生理空間で感覚受容器がその影響を受け取り、それを心理空間で脳が知覚・認知するのです。

生理空間
視覚。聴覚。触覚。嗅覚。味覚。内臓感覚。メルケル細胞・ルフィニ終末・冷覚・温覚・痛覚などの感覚受容器で受け取る情報。

心理空間
明るい、暗い、赤い、青い、黄色い、音が多い、音が小さい、温かい、冷たい、痛い、安心する、不安になる

● 「心理空間」における感覚の広がり

感覚を生み出す外部の入力情報は、自分の生理空間に限りません。自分の身近な人の体験を組み合わせることで、自分から遠い誰かの感覚だったとしても理解できるようになります。例えば、日本人のあなたがアメリカ文化について考えるとき、どのようにアプローチをするでしょうか?もしあなたにアメリカ人の知り合いがいれば、その人のことを思い浮かべて理解しようとするでしょう。

また、もしあなたに渡米経験があれば、その時に出会ったアメリカ人たちの様子を思い起こそうとするでしょう。このように、ある具体的な人の気持ちになりきることで、抽象的なものの理解のとっかかりにすることを、みなさんは無意識に行っていると思います。

  • レベル1:1人称の感覚→自分の入力情報を扱う(自分から近い)
  • レベル2:2人称の感覚→他人の入力情報を扱う
  • レベル3:3人称の感覚→コミュニティ・集団の入力情報を扱う(自分から遠い)

● 感覚の「具象化」と「抽象化」

1人称の感覚から2人称、3人称と、感覚を発揮する対象が自分から遠ざかるにつれて、より多くの人と共有しやすい感覚になっていきます。アメリカ大統領が誰かと握手をしたとき、握手をした二人だけでなく、それを見た人たちはより多くの意味合いを感じるでしょう。

1人称の感覚は、生理的な入力情報から直接生まれる感覚です。握手をした時に実際に「温かい」と感じることなどがこれにあたります。2人称の感覚では、具体的な対象を認識することで知覚されます。相手と握手をして「信頼できる」と感じます。3人称の感覚では、その集団の文化を理解し抽象的な感覚を理解します。色々な人との握手を経験して、その行為に「安心する」のです。

このように、自分の経験を具象化・抽象化することでより多くの人と共有できる感覚が培っていきます。そして、それらの感覚を行き来することで、互いの感覚を強化していき、より高次元の感覚に接続することができるようになります。

● Intuition Design のすすめ

本連載では、感覚を再発見しそれをデジタルを用いて再現していきます。

1人称の感覚は「甘い」「酸っぱい」などの匂いや、「温かい」「冷たい」「圧力を感じる」などの触感、「嬉しい」「悲しい」などの感情。2人称の感覚は「信頼する」「信頼できない」などの信頼感、「早い」「遅い」などのリズム感、「安定する」「ぐらぐらする」などの平衡感覚。3人称の感覚は「具体的」「抽象的」などの概念的な感覚。「侘び寂び」「もののあはれ」などの日本文化特有の感覚。など多くの感覚が挙げられます。

今後は、エキスパートインタビューやリサーチを通じて、感覚について深ぼっていくとともに、それぞれの感覚の関係性をマップに落としていきます。このマップでは、その配置によってシナジーや効能の近い感覚が近くに配置されるようになり、マップに配置された感覚の位置を見ることで感覚のデザインの方法を示唆が得られる資料に昇華していきます。

レベル1 :1人称の感覚

生理空間
1人称の感覚(自分の感覚のみ)。視覚。聴覚。触覚。嗅覚。味覚。

心理空間
心身のリアル体験。「甘い」「酸っぱい」、「温かい」「冷たい」「痛い」などの実感覚による体験。
「嬉しい」「悲しい」といった感情。

レベル2:2人称の感覚

生理空間
2人称の感覚(自分が感じる範囲の他人の生理感覚)。他人の視覚。聴覚。触覚。嗅覚。味覚。

心理空間
具象化された体験。自分の体を俯瞰する体験。ゾーン感覚。リズム感覚。グルーヴ感覚。物理感覚。生命感覚。平衡感覚。身体感覚。アフォーダンス。
他人やアバターと共有する体験。操作感覚。同期する感覚。アバター感覚。信頼感。

レベル3:3人称の感覚

生理空間
3人称の感覚(人間や集団としての集合知・能力) 。集団の視覚。聴覚。触覚。嗅覚。味覚。環境情報。

心理空間
抽象化された体験。環境や経験によって培っていく性質。時間感覚。上下感覚。ブーム感覚。共感覚。
文化的な背景とともに理解される感覚。侘び寂びの感覚。ヒュッゲの感覚。


第2部:デジタルを用いた感覚表現

● 外部の入力情報をハックして心理的な感覚を狙って生み出す

現在、VR技術などのデジタルの世界において、触感や匂いなど、視聴覚以外の感覚を活用することが増えてきました。扱える感覚が増加するのに伴い、感覚をハックして新しく作り出していく取り組みにも熱が増しています。

● Intuition Design の例:開放感の場合

その中で今回は「開放感」という例を取り上げていきます。最近はコロナにより、外出が制限され鬱屈とした一日を過ごしている人も多いでしょう。日本の家庭では、外で遊ばない子どもに対して「お日さまの光を浴びてきなさい」と言います。そして、日照時間が少ない地域ほど自殺率が上がってしまう「雪国鬱」という概念は日本だけでなく北欧でも認知されています。そんな中で、開放感につながるデジタルな取り組みがいくつか生まれています。

● レベル1:「青空の下にいる開放感」(光の波長を感じる)

人間の感覚は単に視覚と括って判断するわけではなく、光の波長や強さの違いを認識することができ、特に太陽の光に開放感とやすらぎを感じるようです。最近、私が体験して驚いたのは、三菱電機の開発した青空照明「misola(みそら)」でした。

昼間の空が青く見える現象「レイリー散乱」を人工的に再現するパネルを採用したその照明が発する光は、まるで太陽の光かのようでした。どこまでも広がっていくような奥行きのある光表現に開放感を感じました。

屋外にいる開放感を表現するために、液晶ディスプレイを窓に見立て、絶景を室内で眺める取り組みは数多くありますが、どれもディスプレイとしか認識できず、開放感を感じるまでには至っていませんでした。この照明は、屋外にいる時に人間が感じる開放感のうち、太陽の光の効果のみを切り取り、それを再現したものといえます。

● レベル2:「旅行先にいる開放感」(自分の存在を感じる)

人は日常から離れた経験をすることで、緊張から解き放たれることがあります。欧州ではサバティカル休暇など数ヶ月に渡る長期間の休暇で旅行し、時間・空間ともに、日常から距離を取ります。

そんな中で、注目されている概念として、テレイグジスタンス(telexistence)という、人間がその場にいながらにして、遠隔地に実際に存在しているかのような臨場感をもって作業・コミュニケーションを実現するという考え方があります。Zoomでは遠隔地にいる他者とコミュニケーションが取れますが、相手を映している映像が固定されており臨場感を感じることができません。

その点に関して例に挙げる「Telexistence Toolkit」がとても良い体験を提供しています。自分の顔の動きに合わせて、ロボットの顔の向きを変えることが可能です。まるで自分がロボットになったかと思うほどの不思議な没入感をもたらします。

現在はこのような技術を応用して、旅行を遠隔体験するための研究開発が進められています。Telexistence.inc のロボット「MODEL H」は小笠原返還50周年記念事業の一環として、操作者は東京・竹芝埠頭にいながらにして、約1000km離れた小笠原諸島・父島の港にあるロボットに乗り移る体験を提供しました。

「Telexistence Toolkit」

● レベル3:「芸術に溶け込む開放感」(肉体からの解放を感じる)

人間は本来、体性感覚も交えた複数の感覚を統合して処理をする、マルチモーダルな感受性を宿しているものとする考え方があります。ライブだったり、ロックフェスティバルのような音楽体験では、音楽のリズム感と音程、現場の参加者の雰囲気、音楽やバンドの歴史を総合的に楽しんでいます。

「Synesthesia Suit」や「Synesthesia X1-2.44」では、名作ゲームのインタラクションやサウンドアーティストの作成した音楽を聴覚、視覚だけでなく、触覚、内部感覚といったさまざまな感覚を刺激し、ゾーンを感じてもらうことを目指しています。

「Synesthesia X1-2.44」

第3部:デジタル世界では、感覚がないがしろにされている

● デジタル利用の目的は「つながること」がほとんど

デジタル世界における感覚表現は発展途上。現実世界と比較すると感覚表現の種類はまだまだ多くありません。そのなかでも、デジタル空間上にうまく表現されているものは「家族や友人と繋がっている感覚」や欲しい情報にいつでもアクセスできる感覚」といった「つながる」感覚でしょう。

実際にアプリケーションの利用率の上位のほとんどのサービスがYouTubeやSNSなど、「つながる」感覚の延長線にある感覚を狙っています。そのイメージから、デジタルの強みはネットワーク機能だと思う方も多いはずです。

確かに、「つながる」感覚はインターネットのネットワーク機能による貢献が大きいのですが、インターネットはデジタルの一つの側面でしかありません。VRが生み出す視聴覚体験は「没入する」感覚を生み出そうとしていますし、ブロックチェーンが生成するNFTタグにおいては、唯一無二のオリジナルが保証される「安心感」がもたらされます。

「つながる」イメージが強すぎるために他の感覚が意識されにくいだけで、デジタルは決して「つながる」に特化したツールではありません。

人間の新しい可能性を引き出すデジタルデザインを目指して

みなさんは日常生活において、自分の「感覚」を意識したことはあるでしょうか?自分の感覚に意識を向けてみると、いろいろな発見があるはずです。そして、自分が置かれている状況や環境を変えることで、隠れた感覚を引き出すことができるかもしれません。

私たちは日々さまざまな経験をしています。その経験は多様な感覚が積み重なり結晶化したものです。そして、映画や小説など人間の文化的な生活に、感覚は不可欠なものとして先人達から受け継いできました。

一つひとつの感覚を理解し、デジタル世界で表現することで、私たちの生活は大きく豊かさを増すはずです。

次回のテーマは第一の感覚として中心感覚を取り上げます。中心感覚とは「真ん中を感じる」力です。人間は何を大事にしているのか組織にとっての真ん中とは何なのかについて考えていきます。

TEXT BY KOKI YAMAMOTO

慶應義塾⼤学経済学部卒。慶應義塾⼤学メディアデザイン研究科修了。Royal College of Art への交換留学。PwCコンサルティング合同会社⼊社。同社Experience Centerにて、消費財企業のVR PoCの導⼊⽀援。AIを経営に活用する新ソリューションの⽴ち上げ。ロボットベンチャーの新規事業機会創出の⽀援に携わる。
エンジニアとしての⼀⾯を強みにもち、テクノロジを基盤とした新規事業機会における実装と検証を得意としている。

Published inScienceTechnologywell-beingその他