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[対抗文化の新都より vol.0]
多様で複雑な世界、変容する思考。

ベルリンに暮らすようになって、3年目を迎えようとしている。

日本を出て海外で暮らすということは、自分の想像を越える経験の連続である。自分が知らなかった世界に身を持ってダイブしているわけだが、自分の置かれている立場や状況が変わった瞬間、今まで触れてこなかった多様な思想、カルチャーや世界情勢が波のように押し寄せてくる。

ベルリンは、ヨーロッパの中でも独特の雰囲気や歴史を持つ。主だったものでいえば、ヒトラーの独裁政治およびユダヤ人大量虐殺、冷戦時に東西を資本主義/社会主義に分けたベルリンの壁。

「壁の西側には色鮮やかなグラフィティが施され、東側では兵隊が銃を構え整列する」

一枚の壁は、人間の尊厳、文化や金銭の価値、国民の一生を決定し、一つの街をディストピアとユートピアに分けた。

秘密警察による超監視社会が広がる東ベルリンと自由に溢れた資本主義の西ベルリン。当時東ドイツの中で孤島であった自由の楽園西ベルリンに惹かれ、デビッド・ボウイやイギー・ポップなど多くのアーティストが集まりアヴァンギャルドなカルチャーを築き上げた。壁崩壊後、何もなかった東ベルリンを拠点に芸術家やアクティビストが作り上げたアンダーグラウンドなアートシーン、クラブカルチャーは、人種、ジェンダー、セクシャリティ、宗教などのバッググラウンドを超えて人々が心から望んだ平和や人権の象徴を祝う場所でもあった。こうしたカルチャーはベルリンが持つ独特なセクシーさとなり、市民のマインドにも受け継がれている。

文化や思想に価値をおき、ボトムアップのパワーが社会を作っていく土台となってベルリンという都市は形成されてきた。それらの歴史が、ベルリンの人々にとってユートピア・ディストピア像とは何かを今でも生命レベルで考える影響力を持っていると暮らしの中で感じる場面や空気感はある。 昨今、分断する世界情勢や過熱する資本主義の流れを受けて、ベルリンが持っていた独特なセクシーさは失われつつあるのも事実。それでも人々がヒューマニティーや生命観を大切にしたサスティナブルな生態系を様々な分野において実践している場面も垣間見ることができる。
新たな流れが入り変わっていく姿もポジティブに捉えつつ、この先の方向性を人々がどう作っていくのかが注目のポイントでもある。

異なる社会に暮らすことは自身の立場にも影響をもたらした。アジア人である自分は、ヨーロッパではマイノリティ。マジョリティの一員で何不自由なかった日本とは異なり、今まで受けてこなかったような差別も受けるし、理不尽な社会の現状や法律の壁に打ち当たることもある。日本で当たり前だと思っていた常識はここでは通用しない。

ダイバーシティの一つであるベルリン。電車に乗れば、前の席に座る人たちの国籍が全員異なるのも当たり前。生活のレベルも、価値観のレイヤーも言語も宗教も、文化もバラバラ。想像を超えるようなクレイジーな瞬間や心に突き刺さるようなHappy, Sad, Madな感情にも立ち会える。

同じ国の人同士でもポジティブな関係性を築き、発展させていくのは難しいが、違いやハンデを超えて真に理解する・伝える・尊重し合うという姿勢、アイデンティティの確立とはどういうことなのかを身を以て考えさせられる。飛び込んで傷だらけになりながらも様々な経験を通し、国際社会で生きるとはどういうことかという戦法を身につけていっているのだと思う。

上記のような政治や経済、文化的なトピックに加え、日本では日常レベルで自分の生活に関与してこなかったようなトピック- 環境・気候問題、LGBTQ、難民・移民 etcも、生活の中に入り込むようになった。

自分の生き方というパーソナルな視点から、国やエリアを超え、地球レベルで考えたときにというようなマクロ視点までが繋がっていくため、様々なトピックに対して自分の思想が問われる機会が増えている。

日本では、今までこれほどまでに様々なトピックを日常の中で友人と交わしたことはなかった。ヨーロッパではデモンストレーションやアクティビストの活動も多く、議論の先の行動も日常で目にする。その度に、他人事でなく、地球の中で生きている生命として関係し、責任があるんだという概念に気づかされる。日本のこと、世界のことを横断的に見て、どう生きたいか、どういう社会・世界を作りたいのかを真摯に考えるようになった。その選択は、常に私たちの手の中にあるのだ。

海外に住むと自国の良さが見えてくるとよくいうが、世界の中で客観的に日本を見たときに日本の素晴らしい点、そして異質な点がより一層浮かび上がってきた。それは、他国でも同じ、ベルリンをはじめヨーロッパ諸国の素晴らしい点や異なる点も暮らしの中で浮かび上がる。今まで考えてこなかった日本、世界のトピックについて暮らしの中で考える機会は増えた。ハイブリッドに横断して世界を見つめていくことは自分を知り、隣にいる他者を理解することに役立つ。

とはいえ、今まではヨーロッパ、ベルリンでの日々の経験や思うことに対し、理解度と経験度の深さを見てまだまだと思うことがあった。しかし、移住して2年経ち、移住したばかりの頃から今までの間に経験してきた気づきや感覚の点と点が繋がりはじめ、改めて自分の身の回りで起こっている現象や感覚に対し、深い理解と考察が生まれるようになったと感じる。暮らしの中にある些細な気づきを掘っていくと、木の根のように広がり様々な事象と複雑に絡みあっていてとにかく深い。

こうした思考プロセスは、世界や個の見方をグッと広げた。

カオスで多様な文化や思想、価値観の中、自分の身体や精神に刻まれ続けていく様々な経験によって、思考がどう変容していくのかという実験を繰り返してきたようなものだなと思う。未知の領域を知り、その背景を深掘りした上で、変容していく世界、個人、自分を観察していくのはおもしろい。

そんな感覚を持った上で、日常の暮らし、文化の中で感じる些細なことをセルフエスノグラフィ的に掘り下げていこうと思う。連載「対抗文化の新都より」は、この世界情勢の中で、今後どういう方向にヨーロッパ各国、ベルリンが向かっていくのか。日常の中に新たな流れを生み出す種はたくさん潜んでいる。そんな視点も織り交ぜながらヨーロッパでの日々を綴るエッセイとして展開していけたらと思う。

TEXT BY SAKI HIBINO

ベルリン在住のプロジェクト& PRマネージャー、ライター、コーディネーター、エクスペリエンスデザイナー。Hasso-Plattner-Institut Design Thinking修了。デザイン・IT業界を経て、LINEにてエクペリエンスデザイナーとして勤務後、2017年に渡独。現在は、企画・ディレクション、プロジェクト&PRマネージメント・執筆・コーディネーターなどとして、アート、デザイン、テクノロジーそしてソーシャルイノベーションなどの領域を横断しながら、国内外の様々なプロジェクトに携わる。愛する分野は、アート・音楽・身体表現などのカルチャー領域。アート&サイエンスを掛け合わせたカルチャープロジェクトや教育、都市デザインプロジェクトに関心あり。プロの手相観としての顔も持つ。

Published inBerlinEurope対抗文化の新都より