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[対抗文化の新都より Vol.1-3]
ベルリン、オーガニックブームを超えた先にあるもの。

前回の記事では、オーガニック市場成長の裏にある光と影について綴った。(その記事はこちら。)
今回はドイツ人のBio志向、環境意識が高い理由について触れたいと思う。

ドイツ人はなぜオーガニック志向が高いのか。

私がBio製品を生活に取り入れるきっかけになったのは、身近な友人たちがBioに対する意識が高く、実際に各々がこだわりを持ってBio生活を実践していること、普段の会話からBioの話などを議論すること、そして自分の生活圏内にBio製品が溢れていることが影響している。そういった日常の体験や、過去に行ったユーザーリサーチのデータを見て、なぜドイツでは社会的にBio認証を含め、オーガニック志向が浸透し、市民の意識、需要度が高いのかが疑問であった。

その理由を調べて見ると、非常に面白いドイツの歴史、社会の構造がみえてきた。
まず、Bioの歴史や意義を紐解くと、Bioはヴェジタリズム、自然主義との深く関わってくる。
Bioは”植物や動物に代表される諸生物の免疫機能を維持・増強し、生態系のバランスを保つ”、つまり環境保護という概念がBioにとっては非常に重要な要素になっている。

スーパーなどには置かれているこのマシーン。リサイクル可能なペットボトル、ビンを換金できる

ドイツは環境意識の高い国の一つでもある。もちろん日本でもゴミの分別やスーパーマーケットでプラスティックのレジ袋を廃止する行動が広まってきてはいる。しかしユーザーリサーチの結果のように(前記事参照 URL)、製品を輸入する際の輸送にかかる燃料や二酸化炭素の排出量を減らすだとか、旅行の際の飛行機の利用を控える、海洋のプラスティック汚染への取り組み、大気汚染への取り組み、カーボンニュートラルな社会を目指すなどといった大きなトピックにおける能動的な議論や取り組みが一般市民の中で行われているかというと、それは非常に少ないと言える。

しかし、ドイツは、一般市民でもこうしたトピックについて話す機会が日本よりも多い。私も上記のようなトピック、例えば「飛行機は環境に悪いから、イタリアへの旅行を電車でいくことにした。」というような会話などは友人からもよく聞く。
世論調査でも若者の心配事のトピックは1位:自身の進路、2位 : 環境・気候問題という記事もある。実際に政策として実行にも移されている点も興味深い。

食の分野で言えば、ドイツでBioが浸透した一つの理由として、環境配慮から化学肥料や農薬を控えた農法の拡大、狂牛病騒動を機に消費者にも自然界にも優しい有機・自然農法への転換が奨励され、食料・農林省が消費者保護・食料・農業省へと生まれ変わったことも挙げられる。

市民運動、政治、教育が育てた環境意識

ドイツの環境意識、Bioへの意識を高めるきっかけを調べていくと、19世紀末Lebensreformbewegung/生改革運動、1970年代エコロジー運動、1980年代「緑の党」EU躍進といったキーワードが出てくる。

・19世紀末 : Lebensreformbewegung/生改革運動
19世紀末のドイツで展開された「自然に還れ」というキーワードを主とした近代化や都市化に反対する運動の総称である。 生改革主義者たちは、生改革運動の”生”とは、単なる生命や生活を指すのではなく分割し得ない総体としての人間と、人間と宇宙との関係までを含む。とし、自然と人間はそもそも一体であり 、自然に背いた生活を送ることで心身に不調をもたらすことになると考えていた。この運動の最も中心にあったのが、現代のBioに繋がるヴェジタリズム・自然主義、裸体主義、自然療法であった。その他にも集落運動、田園都市運動、芸術における表現主義、ユーゲントシュティール、さらには平和運動、女性解放運動、占星術やオカルト的な宗教運動まで生にまつわるあらゆるものが含まれていた。

1871年のドイツ統一を経て、産業革命が起こり、工業化・物質主義・大衆的消費主義が急速に発展したのがこの時代。物質主義、近代化がもたらした環境・生活の変化によって、人々は時間とノルマに追われ、ストレスにより神経衰弱に陥る人も現れ、道徳的腐敗をもたらした。この状態を見て、新カント派 は”文化” と ”文明 ”が相対する概念であるという哲学を打ち出している。”文化 ”とは物質的なものではなく精神的な価値を問題としており、”文明 ”は物質的な価値を追求するものであると。

出典 : spiegel online Als der “Kohlrabi-Apostel” vom Paradies träumte

20世紀転換期においては”文化”という言葉が流行し、人々は文明によって文化が衰退していると考えた。また近代化に伴う社会の全般的な科学化・合理化傾向への反発も起こった。都市の大衆社会の中で、人々は原子化され、匿名化されアイデンティティを喪失する。個人の”生 ”が社会の歯車の中に埋没してしまうことに、彼らは実存的な危機を感じたのである。このような状況が社会問題の根源であり、社会問題を解決するには自然であることに大きな価値を見出すべきだという近代化・都市化の批判からLebensreformbewegung/生改革運動が影響を市民に与えていったという。

・1970年代エコロジー運動
1970年代のエコロジー運動のきっかけとして、1968年が一つの契機とされている。1968年は世界的にもベトナムのテト攻勢やポンド・ドル危機 、五月革命など重大事件が起こった年であり、学生運動や社会運動がピークに差し掛かった年である。当時西ドイツをはじめとした西ヨーロッパ諸国では政治的な革新意識が高まっており、戦後の復興に尽力し、経済成長を優先させナチスの罪に目を瞑ってきた世代とそれに異議を唱える若い世代の対立が顕著になっていた。

この若い世代は議会外反体制運動( APO)を盛り上げ 、政権や大学の体質を批判。APOに参加していた世代の多くは、反原発運動や平和運動に参加し、緑の党に加わっていった。こうした流れの中、経済成長至上主義によって犠牲にされていた環境問題や平和問題の改善を政策に盛り込んだヴィリー・ブラント(Willy Brandt, 1913-92)が率いる社民党が69年の選挙に勝ち、ブラント政権が誕生した。ブラントはナチスが行ってきた人権侵害、犯した罪への強い反省を念頭に起き、人権政治、環境政策に力を入れた。人間に危険を及ぼす物質を防ぐという観念は環境保護、動物愛護の理念へと繋がった。世界的にもエコロジー運動が高まっていたのもあり、世論調査機関Infasの調査によると環境保護という用語を知っている市民の数が1970年9月時点で41%だったのに対し、1971年11月には92%にまで上昇した。

出典 : 緑の党 WEBサイト | Die Grünen

・1988年代「緑の党」EU躍進
1980年代では工業化による酸性雨により多くの木々が枯れる「森の死」をきっかけに、エコロジー活動や環境問題に対する議論が沸き起こった。1983年市民運動からスタートした環境保護を旗印とした政党「緑の党 (Die Grünen)」が旧西ドイツ連邦議会に27人の議員を誕生させた。ち1998年に発足した社民党・緑の党連立政権ではチェルノブイリの事故を受け原子力発電所の完全廃止に向けて電力業界との交渉を行い、関連の法律が2002年より実施されている。
この流れは、”生命感情と政治意識が一つになった”事例とも言えよう。過去の過ちにおける反省からドイツの環境意識は、環境問題に積極的な人々だけがもつものではなくなり、誰もが心を動かさずにはいられない生活感情の一部になったのだ。

受け継がれていく環境教育

こうした意識はドイツにおける環境教育によるものであった。 
環境教育は今日のドイツを環境先進国にしている最大の原動力である。
森の死やチェルノブイリ事故を知り、環境問題が地球規模の問題であると気づいた時に、すでに10年以上の環境教育を受けたドイツの若者たちは環境危機に対して改革を起こした。

この環境教育に力を入れたのは、1970年代エコロジー運動の一因でもあったヴィリー・ブラント政権である。小学校から基本科目として環境教育が取り入れられ、子供のうちから生活に密着した環境や社会システムを自分で考えさせる授業が学習指導要領に定められ、「BUND」(Bund für Umwelt und Naturschutz Deutschland=ドイツ環境・自然保護 連盟)やグリーンピース、ドイツ自然保護連盟など100にも及ぶ環境団体が市民や子供に学外授業を行ったり、情報提供を行い、自然意識を呼びかける活動を行っていた。自然環境破壊を人権侵害ととらえる彼らは他国のエコロジー政党支持者にとってのロールモデルとして機能した。

この一連の歴史の流れを見た時に感じるのが、市民一人一人が持つ根本的な思想の部分からきちんとBioの意識、環境配慮や動物愛護の意識が組み込まれて、政治や教育、社会システムをデザイン設計しているということ。そのような環境下で育った若者が家族を持った時に、家庭でも環境に配慮した思想を受け継いでいくのであろう。

先にも述べたが、環境問題が誰もが心を動かさずにはいられない生活感情の一部となり、生きものとしての生命感情と政治意識が一つになった結果、今日の市民のリテラシー、社会基盤が形成されている訳なので、上部のブームだけをアダプトし、ブームに人々が乗っかる構造とは異なっている。 市民に根付くBioの歴史や意義、環境教育、家庭環境での教えなどをみると、現状の安価なBio製品に疑問を抱く人々の考え方にも納得がいく。

次の記事では、こういった高いBio、環境意識を持った市民たちが、現状の疑問を打破すべくどんな行動を取っているのかにフォーカスを当てる。

TEXT BY SAKI HIBINO

ベルリン在住のプロジェクト& PRマネージャー、ライター、コーディネーター、デザインリサーチャー。Hasso-Plattner-Institut Design Thinking修了。デザイン・IT業界を経て、LINEにてエクペリエンスデザイナーとして勤務後、2017年に渡独。現在は、企画・ディレクション、プロジェクト&PRマネージメント・執筆・コーディネーターなどとして、アート、デザイン、テクノロジーそしてソーシャルイノベーションなどの領域を横断しながら、国内外の様々なプロジェクトに携わる。愛する分野は、アート・音楽・身体表現などのカルチャー領域。アート&サイエンスを掛け合わせたカルチャープロジェクトや教育、都市デザインプロジェクトに関心あり。プロの手相観としての顔も持つ。

Published inBerlinEcologyEurope対抗文化の新都より